なんくるないさ part2

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野麦峠のお助け小屋で天ぷらすな蕎麦食べました!あゝ野麦峠の政井みねさんの生涯も少し

 

こんにちは、ららぽです。

 

まっすぐ木曽へ向かうはずだったのですが

野麦峠の看板見つけちゃって左折 (/ω\) 気ままな旅なのでね。

野麦峠岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置しています。

細い峠道をクネクネ走って、到着したそこには みねさん 銅像

 

あゝ飛騨が見える

兄に背負われる政井みねさん

政井みね岐阜県出身で、14歳の頃から信州の製糸工場の糸挽き女工として毎年出稼ぎして働いていました。

22歳の時、出稼ぎ中に病気のため倒れ働けなくなったため、工場から兄へ連絡するが数日がかりで辿り着いた時には みね はもう立ちあがる力もなく涙するばかり。

工場では一刻も早く連れ出すようにと催促され、兄は用意してきた「セイタ」にてミネを背負い工場を後に泊まりを重ね5日目にこの野麦峠に辿り着きひと休み。

みねはよほど故郷が恋しかったのだろう。

「あぁ、飛騨が見える。飛騨が見える」

と嬉しそうに、それだけ言って息を引きとったのでした。

これは明治42年11月20日のこと。

 

野麦峠・お助け小屋

ちょうど、お腹も空いていたのでお蕎麦をいただきに。

座敷には囲炉裏があっていい感じ。

店内では「あぁ野麦峠」の予告編が繰り返し流れていました。

高根地区の郷土食で「すな」と呼ぶ赤かぶのお漬物があるそうで、メニューにその「すな」が入ったお蕎麦を見つけた私はそれを注文しました。

「すな」は高根地区で古くから食べられてきた赤かぶのお漬物です。
塩分を使わず乳酸菌で漬けた発酵食品で漢字で「酸菜」と書く通り、さっぱりとした酸味がクセになる味わいです。

お食事

天ぷらすなそば ¥950

「すな」は左端に少し見えますが、ほとんど天ぷらが乗っかって隠れてますね。

少し酸っぱくて、ご飯の上にかけて食べると美味しさが増しそう。

お蕎麦も天ぷらもとても美味しく、甘めのつゆも全部飲み干してしまいました。

ざるそば ¥900

ららじ のざるそばも、すごく美味しかったようでお土産にも少し買っていました。

ごちそうさまでした。

海抜1672メートルとは結構高いですね。

この高さといい距離といい、昔の人は徒歩だったのですから大変。

むかし厳しい峠越えにより命を落とす者が多いことから、峠越えをする者を救いたいという思いで建てられたお助け小屋。

政井みねさん

食堂に みねさん の写真が飾られていました。

そして、映画のポスターや、いろいろなものが展示されていて

ちょっとしたミュージアムです。

「野麦」の地名は、五十年から六十年に一度クマザサに花が咲き、麦のような実を付けることから名付けられたそうです。

 

 

旧野麦街道

10分~15分くらい登ると、展望台があるそうなのですがクマが怖くて登りませんでした。けれど先ほども言いましたが、昔の人はこういう険しい道を登り峠を越えていったのかと思うと、せつなくなります。

アスファルトなんてなかったでしょうしね。

山だらけ。山のなか。あ~怖い。

旧野麦街道

みねさんのお墓は故郷の飛騨市河合町にある専勝寺にあり、今年の5月に みねさん 銅像の除幕式も催されたそうです。

こんなに時を経て、なぜ今?

それは、東京都の実業家、漆原徳光さん(元レーサー)が みねさん のお墓の参拝に訪れた際に、みねさんのお墓の案内看板が壊れていたことから、銅像の寄進を申し出たそうです。

銅像みねさん の生家の方に向いて建てられたとか。

漆原さんは他にも生家跡の看板や石碑なども寄贈されているそうです。

 

いまもなお語り継がれている政井みねさん。

お疲れさまでした。

どうぞ安らかに。

 

では、また。

 

 

 

旅の備忘録

 

野麦峠お助け小屋

住所:岐阜県高山市高根町野麦592

電話番号:0577-59-2409

営業時間:5月1日~11月10日 9:00~15:00 (冬季は閉鎖)

定休日:冬季期間11月11日~4月

駐車場:有

hida-takane.com

お助け小屋郷土料理 / 高山)
昼総合点★★★☆☆ 3.8

 

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最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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