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成田山新勝寺へ行ってきました(前編)歌舞伎の成田屋(市川家)とお不動さまの深いつながり

こんにちは、ららぽです。

成田山新勝寺

先週の土曜日は電車に乗って成田のお不動さまのもとへ。

節分も過ぎたし、そんなに混んでないだろうと思っていたら、なんと今は梅まつりの時期でした。参道は観光客や参拝者でいっぱい。

※梅まつり期間:2月17日(土)~3月3日(日)

総門 2007年建立

真言宗智山派、大本山成田山金剛王院新勝寺の御本尊不動明王は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海がみずから敬刻開眼した御尊像です。
京都の高尾山神護寺に奉安されていましたが、天慶2年(939)平将門が反乱を起こすと、朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正はこの尊像とともに関東に下り、下総の国、成田の地にて21日間平和祈願の御護摩を修めました。
その満願の日、天慶3年(940)2月14日に兵乱は平定し、この地に新勝寺の寺号を賜って成田山を開山しました。


成田山新勝寺パンフレットより引用

仁王門 1830年再建

高さ19メートルの仁王門の左右には金剛力士像がいて、敵の侵入を防ぐ役割を担っています。

大本堂 1968年建立

堂内には御本尊不動明王を中心に、四大明王、平成大曼荼羅が奉安されています。

TVでもご覧になったことがあると思いますが節分の豆まきもここで行われます。

ちなみに豆まきの豆は、大豆、落花生、福御守です。

落花生とは千葉県らしいですね。

みんなが必死に手を差し伸べているのは福御守をいただきたいからでしょうか?

お不動さまの持つ利剣をかたどった開運招福の御守だそうです。

なんだか、ものすごい御利益がありそうですね (*^^*)

三重塔 1712年建立

釈迦堂 1858年建立

釈迦堂は旧本堂で、大本堂の建立にあたって1964年に大本堂の左手に移築されました。

ここでは厄除けのお祓いが受けられます。

天満宮 1887年再建

合格祈願、学業成就の御堂。
学問の神、菅原道真公をお祀りしています。

額堂 1861年建立

額堂は、奉納額や絵馬を掲げる御堂です。

成田屋七代目、市川團十郎の石像もあります。

成田屋七代目 市川團十郎

市川團十郎と成田のお不動さま

江戸歌舞伎の第一人者である初代團十郎は、人気はあれど跡継ぎに恵まれず、成田山の本堂で一心に子授けを祈願したところ待望の長男を授かりました。
そして、お不動さまに感謝し不動明王をテーマにした舞台は大当たりし、ふたたび感謝した團十郎は成田山に大神鏡を奉納し、市川家は「成田屋」の屋号を使うようになったのです。

 

 

それから代々と團十郎襲名は続き、石像となった七代目團十郎ですが、七代目もまた子沢山であったのですが男子には恵まれず、お不動さまへ祈願したところ跡継ぎが生まれます。
この子が八代目、美形で二枚目、江戸時代最後の團十郎となります。
それから天保の改革によって、七代目の豪奢な生活は禁令にふれ江戸から追放となりましたが成田山の延命院にて住まわせかくまいます。

八代目はお不動さまに父の放免を祈願し、ついに処分がとかれます。
お不動さまへの信仰が特に深かった七代目は千両という大金を奉納して額堂を寄進。
ご自身の等身大の石像や様々な品を奉納し、感謝の意をあらわしました。

 

こうして成田山新勝寺と成田屋の関係は約300年も続いているそうです。

現・市川新之助(堀越かんげん君)の成長ぶりも楽しみですね。

市川團十郎のお話は成田山新勝寺HPを参考にさせていただきました。

長くなりそうなので、今日はこのへんで。

 

では、また。

 

 

 

続きはこちら↓

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大本山成田山新勝寺

住所:千葉県成田市成田1番地

電話番号:0476-22-2111

www.naritasan.or.jp

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最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

 

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